年賀状

Dscf18572012年も早いもので10日も過ぎました。

暮れに足腰の痛みがでて、医者でMRIを撮ったら「脊柱管狭窄症」と診断されてしまいました、このため折角今年の正月は2年ぶりに子供・孫と全員で元旦を迎えられたのに、

暮れからの薬と注射のための病院通いが始まり、初詣も子供の車で、痛い足を引きずりながらもやっと、護国神社に出かけたのが外出した一日で後は炬燵での日々でした。

いつもなら浅間神社までバスで出かけますが、駐車場が広く・無料の所を選んで、しかもあまり歩かずに済む所にしました。

今年の干支は龍と言うことで、暮れに色紙に水彩で龍を描きました、Dscf1883以前に年賀状で描いた竜です、また家内が友人から頂いた干支の置物を2個手前に置いて見ると、大変素敵なものになり、今年一年我が家の玄関は見栄えのするものになりました、また八幡堀に色紙は、年賀状に使用した色紙の水彩画です、これも家の中に飾ってあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

奥能登の旅(その4)

Photo碌剛崎灯台、駐車場で下車、灯台はここからは見えず、急激に盛り上がった地形で、最初は比較的なだらかでしたがだんだん坂が急になり、先頭を登っていたのに次から次と皆さんに追い越されて歳のせいか息苦しく少々バテての登りでしたが、何とか登り切りました。

ここを狼煙灯台とも言うから、なんでか検索してみたら珠洲市狼煙町が所在地で北緯37度31分44秒・東経137度19分35秒で円形の石造で33Km(13海里)の公光達距離まで光が届く灯台でした。

内海と外海の境目で碑がありました。「ひぐらしが鳴く 奥能登のゆきどまり」

方角をしめすものもあり、東京302Km・釜山783Km・上海1598Kmと書かれていました。能登半島最北端の塔と灯台をバックに写真記念を一枚。

Photo_2次の観光地は、能登内浦海岸を代表する景勝地の一つ、見附島(軍艦島)でその昔、弘法大師が佐渡から能登へ布教に訪れた際に見つけた島との説が有るようですが、実際には大師は来たことがないようです。

引き潮の時は、歩いて渡れるようですが、この日は風が強く帰路の時間もこれあり、渡った人はありませんでした。昔々やはりここにきた記憶はありましたが、台風等の荒波で削られたと言ってましたが、見た目では昔と変わらない景色だと思いました。

今回の観光で2日目に行く予定の輪島朝市が休のため最終日・宿泊のホテル(羽咋市)から、改めて1時間余をかけて輪島まで戻る事になりました、

朝市の買い物ツアーで旅は終了、Photo_3その後有名なナギサドライブウエーPhoto_4を通過して帰路につきました。能登を観光めぐりの間、お天気に恵まれた良い旅でした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

奥能登の旅(その3)

今回のバス旅行の目玉が日本三大パワースポットと言われている珠洲岬です、

PhotoPhoto_2ここで案内をしてくれていた女性が強風で傾いた木を、パワースポットはここですと教えてくれたので、あやかる様に女性にシャッターをおして貰いました。

この崖の下に、かの有名な「ランプの宿」があります、話には聞いたことがありましたが、その宿を初めて見ました。Photo_3バスの添乗員さんの話では、予約は何年か先でないと取れないと説明してくれました。

検索してみると、4百年の歴史を持つ一軒宿で、浜辺ギリギリに建っている宿で昔は舟で宿に入っていたとありまいた。ちなみに最高級の特別室は2室利用で、105.150円とあり、そんなところでも宿泊客が有るのか年金生活者には夢の話です。

次の能登半島の先端、碌剛崎灯台(狼煙の灯台)は(その4)です、お楽しみに。





| | コメント (0) | トラックバック (0)

奥能登の旅 (その2)

Dscf1729松本清張の「ゼロの焦点」の事を書きましたが、図書館で借りて読んでいる小説の中に能登金剛 巌門の事があり、このことを少し、載せたいと少し横道にそれることをお許しください。

昭和34年に刊行され叙情性豊かなドラマ展開と併せて能登金剛の風景描写が強烈なイメージで読者の心をとらえた。

翌年春、巌門と鷹の巣岩との間の海面に若い女性の自殺死体があがり、その後映画も大ヒットした後短期間に自殺者が相次ぎ

地元の青年団を中心に鎮魂と自殺防止の運動が高まり、記念碑の建設を計画すようになった。これを松本清張は聞きつけ、私財の提供を申し出て、碑文に添える歌まで自作した、その歌碑が下記の歌です。写真では良く読めませんでしたが、

「雲たれてひとりたけれる荒波を かなしと思へり能登の初旅」 です。

旅を元に戻します、旅をしたのが10月下旬のため「白米の千枚田」は稲狩りも終わって殺風景でしたが記念の写真は一枚カメラに収めました。

Photo次に訪れたのが、上時国家で今から800年前に清盛の義弟、平時忠が能登に配流、以後天領の大庄屋となった国指定の重要文化財だそうで、丁度来年の大河ドラマは「清盛」、タイミングのよい観光施設でした。

調度品も武具・火消装束・はりには籠が4台・平家定紋の付いたふすまが見事でした、また庭も行きとどいた綺麗な庭でした。

横道が長すぎたので(その2)はこの辺で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

奥能登の旅 (その1)

書き込みが一ケ月ばかり遅くなりました、10月下旬バスツアーで能登半島まで2泊3日の旅に出かけました。バスに乗りさえすれば目的地まで連れてってくけるのが便利です。

名古屋から東海北陸道を経て富山へ、長時間でしたが渋滞もなく最初の観光が加賀藩二代目藩主前田利長公の菩提寺、国宝の「瑞龍寺」Photoを見学、境内に富山県指定文化財の石廟があり前田利長公・利家公・織田信長公等が祭られていました。

高岡駅からJR氷見線に乗車、富山湾沿いに約30分の電車です、途中に「雨晴海岸」と言う所があり、ここは冬の頃富山湾越しに北アルプスが見える景勝地ですが、あいにく当日は曇り空で雨こそ降りませんでしたが煙った様な海の景色でした。

氷見駅からまたバスに乗り換えホテルへ、このホテル連泊ですので、2日目の観光は荷物なし、これも気楽でした、まず能登観光の目玉である「能登金剛・巌門」、ここは昔々金沢勤務時代に職場の旅行で訪ねて以来約50年近くになり、風景は昔と変わりなく懐かしかったです。Photo_2当時は無かったと思いますが、この景色の右方向に洞窟があり、階段で抜けられるようになっており、近くに「松本清張のゼロの焦点」を記念した石碑がありました。Photo_3旅のその1は、ここで終了。






| | コメント (0) | トラックバック (0)

山田長政祭り

Dscf1708_480x640

久しぶりの投稿です、10月の3連休の一日浅間道り商店街で、第26回日・タイ友好長政祭りが開催されているのを知り出かけて来ました。

小学校低学年の頃、大浜海岸の一画に大きな白いゾウが有ったことを思い出しました、長政が乗っていたかは記憶にありませんが、プールのある方ではなく向かって左側の大浜街道から少し離れたところの松林の前に、町の方角を向いていたと思います。(証拠写真があればいいのですが?)

その後絵本かなにかで「山田長政」がタイで活躍した武将で静岡出身を知りすごい人が居たんだと名前も知り、ゾウの銅像がある事を納得していました。お天気の良いのに誘われて、まつりに初めて出かけました。

中町から浅間さんまでの道路がまつり会場で歩行者天国になっており、メインの舞台では華やかにタイの伝統舞踊が披露され多くの観衆が楽しんでいた、午後には木遣り保存会の木遣りを先頭にゾウに乗った長政の行列も盛大に行われた。Photo
沿道にはタイ料理を売る店・タイ式マッサージの店・雑貨を売る店、お店の前は商店の品々等Photo_3盛況で、スタンプラリー等もあり、人出の中を行ったり来たりで結構疲れての一日でした、この通りに「たいやき」で有名なお店があり行列に並んで購入し美味しかった事も報告します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

日帰りのバス旅行

Photo 23年7月23日(土)に天竜川ライン下りがメインのバス旅行に参加した、天竜川をしぶきをかぶりながらの川下りを想像していたのに、旅先の時間もこれあり流れの穏やかな所を30分程度での折り返しで、旅最後の行程のJR飯田線で天竜峡駅から7駅程乗車、為栗駅(何と読むか不明で後で調べたら「してぐり」と読むとありました)で下車、検索すると飯田線の秘境駅だそうで、完全な無人駅でした。

この飯田線の乗車の時間もあっての行程でした、ホームのすぐ脇の道路へ乗客は下りたが、自動車も乗り入れ出来ない道なのに県道430号線でした。Photo_2 Photo_3 ここから先に見える「天竜橋」のつり橋を渡りPhoto_4 山裾の鬱蒼とした道を地図では170mとありましたが、まずつり橋に大勢渡り始めたためか歩くたびに結構ゆさゆさとゆれながら足を運んだ、渡った先の山道でも皆歩きながらまだ揺れているといいながら疲れた足取りでバスが走れる道路まで辿りついた、

道路わきにトイレがあったが、汚くて女性陣は次のトイレ休憩地までの我慢を強いられた、この近くにキャンプ場があるらしく駅からの道も利用価値がるようだ、まつことしばし、バスの迎えを受け静岡への帰路に就いた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

花沢の里

1 6月上旬油絵教室の仲間15名で焼津市にある「花沢の里」にスケッチに出かけた、ここは奈良時代の東海道「やきつべの小径」と言われる所にあり、昔の長屋門造りの家並みを残している絵ごごろを誘う場所、駐車場も完備されており、近年のハイキングブームとやらで、数多くのハイカー(特に高齢者)がこの日も見かけられた。

各自が思い思いの場所を探すことから始まり。私は少し坂を登ったところで水彩で登ってきた所を振り返り、一枚スケッチPhoto と油絵で描くために写真も一枚。その後皆さんがどんなところを描いているのか見学しながら次にどんな風景を描こうかポイント探し。

見て回った所、皆さんは大体構図が左に家並み、右に川とうっそうとした木々が主流、道路脇の水の流れとか、廃屋を見つけて描きだした人もそこで私も何か変わった構図を探して歩き見つけたのが、B1 この家の入り口、Photo_2 これが面白いとシャッターをきり後日教室で先生・仲間のアドバイスをもらいながら、完成まじかの一枚ができつつある。

郊外に出て、空気の良い場所での昼食も美味でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

松本市の地震

064 6月30日に震度 5の地震が松本を襲い、国宝「松本城」も一部被害があったと新聞で知りました、丁度1月前に訪れたばかりで記憶に新しい所なので吃驚しました。

後で知りましたが、家のなかで本につぶされて亡くなった方がいたようですが、亡くなられた方はこの方御一人だったのは、静岡と似たような事が起きていたんですね。

本州の中部に火山と断裂で有名なフォッサマグマ地帯があり、その西縁付近を「糸魚川ー静岡構造線」と呼ばれる断層がいくつも連なっている地帯の一つだとしりました。

活断層を検索したら、1200年前は、白馬から小淵沢まで約110Kの長い区間で断層のずれが6~9mもあったM8クラスの巨大地震が起きていたとありました。

地震に遭遇していたらと思うと、どんな時でも旅先でも災害に備えた心構えをしておく必要を感じました。

上高地線でも6月23日に釜トンネル出口付近で大雨のため土砂崩れで、観光客が多数足止めになり大変ご苦労したようですが、私たちも、5月29日に台風2号による土砂降りで、上高地観光に強行策をとっていたら、やはり翌朝、通行止めになり次の予定がパーになるところでしたが、途中の沢渡で中止にしたのが幸いでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

上高地・安曇野の旅 (その3)

すっきりと晴れてはいないが何とか旅の最終日雨の心配はなさそうだ、ホテルの送迎バスで穂高駅、JR大糸線に乗り換えて松川駅に出てタクシーでとなると時間がかかる事が解かり、ここでもホテルからタクシーで直接目的の「ちひろ美術館」へ行くことにした。

Img020 Img021_640x418 義姉が見学を強く希望していた美術館で、広大な安曇野ちひろ公園として整備され、ちひろが愛した安曇野の光や風、豊かな自然を感じる所でした。

Img018_437x640 館内の5つの展示室で、かずかずのかわいい絵画を堪能した、展示室にはゆかりの品々,素描・スケッチをはじめ影響を受けた画家の作品なども紹介されていました。

旅に出かける前はこの後、池田町展望美術館の前庭からの眺めをスケッチしたいと思っていたのに、北アルプスの山並みが雲に覆われていて立ち寄りを断念した。美術雑誌に載っていた安曇野と有明山、Img006_640x530 のこんな風景を私も描きたいと出かけたのに何年か前の安曇野スケッチの時も前日が雨で、やはり山並みが見えずこ再度の期待も果たせなかった。

結果、松川町から直接松本へ駅前で荷物をロッカーに入れ、途中のお蕎麦屋で昼食。「国宝松本城」へ、056 この日は地元の中学生の課外授業らしく、いたるとこでスケッチをしていて、とある女子学生の絵をのぞかせて貰ったら、城門の屋根の形が歪んでいたのでお節介にも手をいれてしまい、指導してしまいました。

城の階段が急で手すりにつかまりながらの見学で足が疲れました、この後近くの重要文化財の「旧開智学校」067_480x640 も見学、これで今回の観光旅も無事終了、名古屋駅で東京に帰るお二人は運よく「のぞみ」に間に合い、それお見送り、「ひかり」で静岡に帰った。

計画の「上高地」散策は果たせなかったが、これはまた秋頃にと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«上高地・安曇野の旅 (その2)